Googleのロゴ アレクサンドル・デュマとはどんな人?家系は?

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本日 Googleのロゴがアレクサンドル・デュマさんになっていました。

どのような人物なのか調べてみましたので、よろしければご確認ください。

引用:https://google.co.jp

 

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アレクサンドル・デュマとは

アレクサンドル・デュマに関する、説明はWikipediaに3名ほど紹介されておりました。

最初に登場するのは、ルイ16世時代の竜騎兵トマ=アレクサンドル・デュマ

トマ=アレクサンドル・デュマ

ルイ16世に竜騎兵として仕え、フランス革命勃発後、オルレアン公爵家の城下町である
ヴィレール・コトレへ治安維持のために派遣されたそうです。

ルイ16世の竜騎兵 なんて強そうな方なんでしょう。

国王軍から革命軍へ転じ、数々の武勲をあげ、陸軍中将にまで昇進するほどの腕の持ち主だったようですが、ポレオンとの関係が悪化し、フランスに帰国することとなったようです。

ですが、乗った船が嵐にあって、ナポリ王国まで流され、ナポリ王国で、捕虜として捕らえられ、2年間にわたって監禁、1801年に解放されたときには心身ともに衰弱していたようです。

トマ=アレクサンドル・デュマ - Wikipedia

アレクサンドル・デュマ・ペール

今回、Googleのロゴになっている方と想定されます。

フランスの小説家・劇作家で、トマ=アレクサンドル・デュマの息子にあたります。

彼は「劇作家」「小説家」と活躍していく中「連載小説」も手掛けていたようです、。

また、旅行記作家とも活躍されており「スイスの旅の印象」「新・旅の印象 南フランス」など
14作品を残されているようです。

作品一覧や詳細については、Wikipediaを参考ください。

アレクサンドル・デュマ・ペール - Wikipedia

アレクサンドル・デュマ・フィス

こちらは、アレクサンドル・デュマ・ペールの息子(トマ=アレクサンドル・デュマの孫)
にあたり、父と同様フランスの劇作家、小説家だったようです。

小さな世界を写実的にしっとりと描く作風が特徴のようです。

 

子供と引き離された母の苦悩。
青春期に受けた周囲からの偏見が、彼の作風に大きく影響しているようです。

また、若い頃は父親の金で遊び呆けたものの、1844年暮れ、20歳の時に7人もの大金持ちのパトロンを持つ高級娼婦(クルチザンヌ)マリー・デュプレシと出会い、恋に落ちる。

マリーは間もなく病死するが、1848年2月、24歳の時に彼女との思い出を
小説『椿姫』として書き上げて出版し、これがデュマの代表作となった。

1849年、勧めに従い1週間で戯曲版を書き上げ、翌1850年に上演されて大成功を収めた。

この初演以降、デュマはパリの演劇界で絶大な影響力を持ち、経済、文学両面でも大成功を収め、アカデミー・フランセーズ入りも果たしたんだそうです。

なお、孫にあたる「アレクサンドル・リップマン」は20世紀初頭に
オリンピックのフェンシングのフランス代表として活躍したんだとか。

アレクサンドル・デュマ・フィス - Wikipedia

割と、有名といいますか、世界になお残されている家計のようですね。

 

Googleのロゴ一覧

なお、最初にはった画像以外にも合計7枚の画像が投稿されていたため

以下にそれぞれを掲載いたします。
(おそらく、劇作のうちの1つだとは思うのですが・・・)

1枚目:

2枚目:

3枚目:

4枚目:

5枚目:

6枚目:

7枚目:

2枚目、3枚目あたりを見ると、父:トマ=アレクサンドル・デュマが
フランスへ帰国させられて、その際に船が嵐に合った。といった印象を持ちますが

4枚目、5枚目のお宝のようなものは、イメージがわかないため
おそらく作品の紹介なのだと思われます。

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